聖霊によって生きる ヨハネの手紙Ⅰ 2章18〜27節 2024/10/20
聖書―ヨハネの手紙一2章18~27節
(はじめに)
今日は、ヨハネの手紙一2章18節以下の言葉から、ご一緒に神さまの言葉に耳を傾けていきたいと思います。この聖書個所について、新共同訳聖書では、「反キリスト」という小見出しが付いています。反キリスト、今日の聖書個所は、このような言葉から始まります。
2:18 子供たちよ、終わりの時が来ています。反キリストが来ると、あなたがたがかねて聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。これによって、終わりの時が来ていると分かります。
反キリスト、この言葉が聖書の中で出てくるのは、このヨハネの手紙だけだそうですが、これと似たことを、イエスさまは語っておられます。イエスさまの弟子たちが、イエスさまに、終末について、終わりの時について尋ねている場面です(マタイ24章3~5節)。
24:3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」24:4 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。24:5 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
終わりの時、メシアというのは、救い主という意味で、ギリシア語では、キリストです。自分がメシアだと、キリストだと名乗る者が大勢現れる、というのです。今日お読みした聖書個所で言えば、反キリストのことです。そういう者に注意しなさい、という話から、今日の聖書は始まっています。
(聖書から)
反キリスト、偽メシア。自分が救い主だと名乗る人たち。何か、カルト宗教の人たちのことを思い起こすかもしれませんが、それだけではありません。政治的な、軍事的な経済的な立場の人たちでも、そういう人たちがこれまでも出てきたと思います。もうすぐ衆議院選挙があります。アメリカでは、大統領選挙があります。偉大な指導者が出てきたらいいのに!そういうことを思うかもしれません。私たちの生活を潤してくれるような指導者を待ち望んでいる人たちもいるかもしれません。そして、そういう優れた指導者が出てきたならば、そういう人を神のように祭り上げてしまう・・・。私たちは、反キリストに、偽メシアに注意するように、というイエスさまの、そして、この手紙の言葉から、人間を神のように扱ってはならない。人間はどこまでも人間であること。神ではない、一人の罪人に過ぎないこと、私たちが神とする方は、この聖書が指し示す方だけであるということを改めておぼえたいと思うのです。
さて、続く19節には、このようなことが書かれていました。
2:19 彼らはわたしたちから去って行きましたが、もともと仲間ではなかったのです。仲間なら、わたしたちのもとにとどまっていたでしょう。しかし去って行き、だれもわたしたちの仲間ではないことが明らかになりました。
反キリスト、あるいは、キリストではない者を神のように信じる人たち。この聖書の言葉が書かれた時代には、グノーシス主義の人たちが、教会の中に入って来て、人々を惑わしたと言われています。聖書の教えとは異なったことを教え、主張する人たちです。しかし、そういう人たちは、やがて教会から離れていきました。19節に「仲間なら、わたしたちのもとにとどまっていたでしょう」とあります。この留まるということが大事です。何に留まるのか、というと、キリストに留まるのです。キリストの教えに留まるのです。そこに留まることができない人たちは教会から、キリストのもとから離れ去ってしまうのです。
このことについては、私たちもいつも気をつけていなければなりません。自分自身がキリストに留まっているだろうか。キリストの教えに留まっているだろうか。日々の祈りの中で、聖書の言葉を聴く時に、自分自身を吟味していくことが大事です。神さまよりも別のもの、別のことが第一になってしまっている。偶像礼拝、偶像崇拝というのは、別の宗教や別の神を信じるということだけではありません。ある人は、お金が神になっている。またある人は、モノが神になっていることもあるのです。これは他人事ではありません。私たちは弱いのです。だからこそ、互いに祈り合い、支え合う必要があります。
20節には、このようなことが書かれていました。
2:20 しかし、あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています。
ここで「あなたがた」というのは、キリストを信じる人のことです。皆さんが、私はキリストを信じています、というのなら、そのあなたにも、聖なる方から油が注がれているのです。では、この聖なる方から油が注がれている、というのは、何を言っているのか、というと、まず、聖なる方とは何か、ということですが、これは、キリストのことです。キリストが、油を注いでくださる。
旧約聖書に祭司、またイスラエルの王のことが出てきます。これらの人たちは、その職務に就く時、その頭に、オリーブの木から採れた油が注がれました。油を注ぐ、というのは、とても大切な意味がありました。それは、神さまの霊、聖霊が注がれた、ということです。祭司は、神さまの霊、聖霊によって祭司としての職務を行ったのです。王は、神さまの霊、聖霊によって王としての職務を行ったのです。
今、キリストは、私たちに油を注いでくださる。それは、私たち一人一人に、神さまの霊が、聖霊が注がれるのです。そのことによって、私たちも、神さまの霊によって、聖霊によって、キリストから託された働きに励むのです。20節後半には、このようなことが書かれていました。「あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています」。「真理を知っています」。
聖霊について、ヨハネによる福音書に書いてある言葉を読んでみたいと思います(ヨハネ14章26節)。
14:26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
ここには、聖霊について、「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊」とあります。この聖霊が、あなたがたにすべてのことを教える。私、すなわち、イエスさまが話したことをことごとく思い起こさせてくださる、とあります。ここで語られている「すべてのこと」、「わたし(イエスさま)が話したこと」というのが、今日の個所では、「真理」ということです。私には、真理が分からない。イエスさまのことが分からない。そう思うかもしれませんが、イエスさまを信じた人は、聖霊によって、真理を教えられる、分かるようになるというのです。聖霊によって、イエスさまのことを教えられる、分かるようになるというのです。ですから、私たちが、聖書を読む時、礼拝に出席する時、教会学校に出席する時、またどこにおいても、神さま、私に真理を教えてください、イエスさまのことを教えてください、と祈って臨んでみましょう。神さまが教えてくださる、分からせてくださる。そのことを信じて歩んでまいりましょう。
24、25節をお読みします。
2:24 初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。初めから聞いていたことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもいるでしょう。2:25 これこそ、御子がわたしたちに約束された約束、永遠の命です。
「初めから聞いていたこと」とあります。この「初めから聞いていたこと」という言葉は、ヨハネの手紙の中で何か所か出てきます。それらの個所を読んでみたいと思います(3章11節、二ヨハネ6節)。
3:11 なぜなら、互いに愛し合うこと、これがあなたがたの初めから聞いている教えだからです。
1:6 愛とは、御父の掟に従って歩むことであり、この掟とは、あなたがたが初めから聞いていたように、愛に歩むことです。
「初めから聞いていたこと」、ただいまお読みした聖書の言葉と併せて読んでみますと、最も大事なこと、最も基本的なこと、そういう意味で使われているように思います。イエスさまの教え、イエスさまの福音の中心、そのことは、「心にとどめなさい」、「あなたがたの内にいつもあるならば」とあるように、私たちがいつも忘れてはいけないことなのです。教会の働き、活動について、会議などで話し合います。こういう方法がある、こういうやり方がある。いろいろな話題が出ます。それは大事なことですが、私たちは何を行うにしても、福音によって行うのです。福音によって行うとは、神さまの愛、神さまの救いに対する感謝、喜びから、あれをしようとする、これをしようとするということです。ヨハネの黙示録2章4、5節には、「あなたは初めのころの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ」という言葉があります。「初めのころの愛から離れてしまった。・・・どこから落ちたかを思い出し・・・」とあります。これは、あなたがたは、いつも神さまの愛を、神さまの救いの恵みを思い起こしなさい、と言われていることなのではないでしょうか。
(むすび)
27節をお読みします。
2:27 しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。
「いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油があります」。この言葉は、私たちにとって本当に嬉しい言葉です。聖霊が私たちに真理を、神さまのことを教えてくださる、分かるようにしてくださるというのです。今日の最後の言葉には、「だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい」とありました。み子であるイエスさまの内に留まりなさい。もう一度、24、25節をお読みします。「初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。初めから聞いていたことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもいるでしょう。これこそ、御子がわたしたちに約束された約束、永遠の命です」。イエスさまの内に留まる、イエスさまの内にいること、それこそは永遠の命なのだ、永遠の命にあずかることなのだというのです。私たちは、この恵みを、この救いを一人でも多くの方々と分かち合い、お伝えしていきたいと思います。お祈りします。
祈り
恵み深い私たちの主なる神さま
あなたは、あなたを信じる一人一人に油を、聖霊を注いでくださいました。私たちは、弱さ、無力さをおぼえる者ですが、そういう私たちを主が聖霊によって導き、ご自身の救いの働きのために用いてくださいますことを感謝します。
反キリスト、偽メシアは私たちを惑わします。しかし、私たちは本当の救い主を知っています。この方こそは、私たちを永遠の命へと導いてくださる方です。どうか、私たちの生涯、神さまのみ子キリストに留まって生きる、み子の内に生きる者としてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン
この記事へのコメントはありません。